『ルイの9番目の人生』【感想・レビュー】

2018年1月22日月曜日

外国語映画

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『ルイの9番目の人生』


(C)2015 Drax (Canada) Productions Inc./ Drax Films UK Limited.

スタッフ

監督:アレクサンドル・アジャ
脚本:マックス・ミンゲラ
原作:リズ・ジェンセン

キャスト

ジェイミー・ドーナン:アラン・パスカル
サラ・ガドン:ナタリー・ドラックス
エイダン・ロングワース:ルイ・ドラックス
オリバー・プラット:Dr.ペレーズ
アーロン・ポール:ピーター・ドラックス

あらすじ

 サンフランシスコの海辺の崖から転落したひとりの子供が、病院に救急搬送された。その少年ルイ・ドラックスは生体反応がなく、一度は死亡が確認されたが、遺体安置室で奇跡的に蘇生。しかし全身にむごたらしい大ケガを負っており、昏睡状態に陥ってしまう。著名な小児神経科医アラン・パスカルがルイの担当医として外部から招かれるが、この愛くるしい容姿の少年にはいくつもの謎があった。ひどい難産の末にこの世に生を受けたルイは、奇妙なことにそれから毎年、8度にわたって生死に関わる大事故を経験していた。そして美しい母親ナタリー、別居中の父親ピーターに9歳の誕生日を祝ってもらうためのピクニックで事故現場となった渓谷を訪れ、9度目の悲劇に見舞われてしまったのだ。地元警察のダルトン刑事はこの事故を“事件”ではないかと疑い、現場から忽然と消え失せたピーターの行方を追っていた。ルイの命を救うためにあらゆる手を尽くし、憔悴しきったナタリーを励ますパスカルは独自の調査に乗り出し、学校で友だちがいないルイが精神科医ペレーズのセラピーを受けていたことを知る。ルイを襲った幾多の事故は、大酒飲みのピーターによる虐待だったのか。それともルイの自傷行為によるものなのか。やがて深まる謎の答えを見出せないパスカルは恐ろしい悪夢にうなされ、ナタリーのもとには差出人不明の警告文が届くようになり、ルイの身近な人々や関係者に次々と不可解な出来事が降りかかる。とても偶然とは思えないそれらの現象は、悪意を持つ何者かの仕業なのか。事故や事件に巻き込まれ続けるルイは、いったい何者なのか。すべての鍵を握るルイが病院のベッドで眠り続けるなか、このミステリアスな少年の秘密を解き明かそうと苦闘するパスカルは、予想だにしなかった衝撃的な真実に迫っていくのだった……。(公式HPより)

ミステリーの楽しみ

ミステリーの手法として、一部の倒叙小説は例外として、犯人と犯行方法を追いかける形を取り、視聴者はそれを楽しむものですが、この作品は2時間ドラマ同様に早々に犯人が推測されてしまい、謎が物語の「引き」の効果を失ってしまっている。

イメージの偶像化

監督は、前作の『ホーンズ 容疑者と告白の角』でも、ストーリーの核となるものとして「角」を使用し、本作でも、ルイのイメージを「海藻まみれのモンスター」として登場させている。登場するのは、ルイ及びルイのイメージの影響を受けている間なのだが、医師アランの視点で物語が進行しているため、違和感が残ってしまっている。本作の場合、特に形にする必要はなかったのではないだろうか。

解決への鍵

ミステリーのルールとして、解決するためには視聴者にフェアでなければならないというものがある。犯人を特定するのに、突然、刑事が超能力で推理しちゃいました、みたいなものは興ざめである。そういう意味で、後半に夢でルイと交信できることは、超能力そのものであり、ミステリーという立場をなくしてしまっている。物語の冒頭で、アラン医師が学会で発表している内容が、例えば、昏睡状態の患者と夢を通じて交信することができる研究であれば、伏線として理解できるが、映画本編には、そのくだりは確認できていない(研究レポートとして表示されている中にあったのか?)。物語後半の唐突感を無くすためには、そのあたりの伏線が必要だろう。

作品全体として

ミステリーとしても、サスペンスとしても、中途半端な作りになっている感が残ってしまう作品。松竹さんは、なぜ、この作品を精力的に押す判断をしたのだろうか。単館配給で十分。世界には、こんな作品があってもいい。そんな作品。

『ルイの9番目の人生』公式サイト
http://louis9.jp/

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