『スリー・ビルボード』【感想・レビュー】

2018年2月4日日曜日

外国語映画

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『スリー・ビルボード』

(C) 2017 Twentieth Century Fox

スタッフ

監督:マーティン・マクドナー

キャスト

フランシス・マクドーマン:ドミルドレッド
ウッディ・ハレルソン:ウィロビー
サム・ロックウェル:ディクソン
アビー・コーニッシュ:アン
ジョン・ホークス:チャーリー

あらすじ

アメリカはミズーリ州の田舎町エビング。さびれた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板に、ある日突然メッセージが現れる。──それは、7カ月前に娘を殺されたミルドレッド・ヘイズが、一向に進展しない捜査に腹を立て、エビング広告社のレッド・ウェルビーと1年間の契約を交わして出した広告だった。自宅で妻と二人の幼い娘と、夕食を囲んでいたウィロビーは、看板を見つけたディクソン巡査から報せを受ける。
一方、ミルドレッドは追い打ちをかけるように、TVのニュース番組の取材に犯罪を放置している責任は署長にあると答える。努力はしていると自負するウィロビーは一人でミルドレッドを訪ね、捜査状況を丁寧に説明するが、ミルドレッドはにべもなくはねつける。
町の人々の多くは、人情味あふれるウィロビーを敬愛していた。広告に憤慨した彼らはミルドレッドを翻意させようとするが、かえって彼女から手ひどい逆襲を受けるのだった。今や町中がミルドレッドを敵視するなか、彼女は一人息子のロビーからも激しい反発を受ける。一瞬でも姉の死を忘れたいのに、学校からの帰り道に並ぶ看板で、毎日その事実を突き付けられるのだ。さらに、離婚した元夫のチャーリーも、「連中は捜査よりお前をつぶそうと必死だ」と忠告にやって来る。争いの果てに別れたチャーリーから、事件の1週間前に娘が父親と暮らしたいと泣きついて来たと聞いて動揺するミルドレッド。彼女は反抗期真っ盛りの娘に、最後にぶつけた言葉を深く後悔していた。
警察を追い詰めて捜査を進展させるはずが、孤立無援となっていくミルドレッド。ところが、ミルドレッドはもちろん、この広告騒ぎに関わったすべての人々の人生さえも変えてしまう衝撃の事件が起きてしまう──。(公式HPより)

米国の世相を表現する物語

このレビューを公開する2018年2月4日(日)、本作は米アカデミー賞において作品賞を含む6部門7ノミネートされている。これはLGBTを初め、社会に蔓延する差別等をなくし、共生社会を目指そうとする、米国の映画界の風潮が影響していることが大きい。米アカデミー賞は、そのような思想的なメッセージが発せられる場でもあるからである。
そういう意味で、本作は、黒人や有色人種等への差別する人への批判だけでなく、それを容認し行動しない社会への憤りが描かれている。

脚本の妙なのか?

予想できないストーリー展開が素晴らしいとの評もあるが、ミステリーやサスペンスではない本作には、その評価はあたらない気がする。娘を殺した犯人は誰なのか、という引きをベースに田舎町の人々の立ち位置を丁寧に描いているという点では高評価だが、それ以上にはみえない。

主人公の一貫性のなさ

主人公は、娘が殺され、捜査が進展しないことに憤りを感じて、なんとか捜査を進展させようと、ある種暴力的に見えるが、冷静で理知的に反抗を試みる人物である。時に恫喝や脅し、社会的な抑圧など田舎町の社会性や因習のような批判に対して、直線的に非難することで、明確に誤りを正そうとする姿は、「正義」と言わんばかりの行動なのだが、残念ながら、中盤から後半にかけて、その行動原理が崩れてしまう。理知的に進めていたはずの行動が、短絡的な暴力へと変化する様は、共感できる人物像ではない。
ある種、米国では、銃や暴力をまだ肯定されているのかもしれないが、世界で最も治安が安定していると言われている日本社会で生活している人間から見ると、主人公の取る行動には共感できない。

作品全体として

2018年の米国らしい作品であり、アカデミー賞が評価しそうな作品ではあるが、脚本が素晴らしいとはいえない作品。警察署長役のウッディ・ハレルソンの演技が光るが、特にそれ以外に観るべき点はない。エンターテイメントとしては、いまいちの作品ではあるが、米国に時代の鏡のような作品。

『スリー・ビルボード』公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

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