『CURED キュアード』The Cured【感想・レビュー】

2020年5月30日土曜日

review

t f B! P L
(C)Tilted Pictures Limited 2017

スタッフ

監督:デビッド・フレイン David Freyne

出演 Cast

エレン・ペイジ Ellen Page:アビー Abbie
サム・キーリー Sam Keeley:セナン Senan
トム・ボーン=ローラー Tom Vaughan-Lawlor:コナー Conor
ポーラ・マルコムソン Paula Malcomson:ライアンズ博士 Dr. Lyons

あらすじ

感染した者を凶暴化させるメイズ・ウイルスという新種の病原体が蔓延した近未来のヨーロッパ。なかでもアイルランドの被害状況は壊滅的だったが、パンデミック発生から数年後、治療法が発見されたことで社会はようやく秩序を取り戻した。感染者のうち治癒した75%は“回復者”と認定され、治療効果が見られない残りの25%は軍が厳重に管理する隔離施設に収容されている。回復者のひとりである若者セナン(サム・キーリー)は社会復帰の日を迎えるが、街では彼らを恐れる市民が激しい抗議デモを行っていた。セナンの身元引受人は、ジャーナリストである義理の姉アビー(エレン・ペイジ)だった。感染パニックのさなかに夫のルークを殺されたアビーは、深い喪失感に囚われながらもセナンを優しく迎え入れ、幼い息子のキリアンと対面させる。一方、感染者だったときのおぞましい記憶のフラッシュに苦しむセナンは、ルークが死亡した際の残酷な真実をアビーに打ち明けられず、その罪悪感に苛まれていた。(公式HPより抜粋)

ゾンビ映画の形を取りながら

この作品は、ジャンル映画としてのゾンビ映画としては異彩を放つものになっている。この作品においての「ゾンビ化」は入り口でしかなく、ゾンビではなくなった先にあるものを描いているので、ある意味、ゾンビ映画ではないのかもしれない。

差別とマイノリティ

セナンは、一度、ゾンビとなり、社会から隔離され、忌避される存在となっている。差別の対象であり、社会的なマイノリティとなっている。治療方法が発見されたことにより、病気としては社会に復帰するも、まわりからの差別的な扱いは消えず、マイノリティであることに変わりがない。これは、現代社会において、差別する側と差別される側に分断された時、宗教的対立で正義と正義に分裂した時、その融和を目指すことの難しさが表現されていて、そういう意味では、ジャンル映画ではない。

鍵となる設定「再感染」

セナンは、一度、ゾンビ化し、回復していることで、2度目の感染はない。これは、感染への恐れがないことを意味する。感染を恐れる人の中にあって、恐れの段階を越えつつ、人とゾンビ化した人の両方を理解する存在となっている。双方の融和の鍵となるセナンの姿が、監督の描く現代に必要な理解者的な存在なのだろう。

差別の他者性

社会における差別において、差別するものでも、差別されるものでもない、傍観者的な存在が差別を語る時、どこまで行っても当事者意識が欠けてしまうことが多い。この作品でも、感染したセナンをアビーは、ある意味では他者的な感覚で受け入れているが、ゾンビ化する経過を知ることで、当事者となり、表層的な対応ではいられなくなる。それをどのように、この物語で克服するのか。

作品全体として

社会派の骨太な物語を、ゾンビ映画というフレームで表現した特殊な作品。それゆえ、この作品をゾンビ映画として、特定の観客の方にしか届かなかったのではないかという点が残念。これは、ゾンビを扱った、ゾンビ映画ではない、そんな気がします。

『CURED キュアード』公式サイト

『CURED キュアード』The Cured(IMDB)

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